パールハーバー80


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パールハーバー80

1941年12月8日未明(日本時間)日本海軍による奇襲攻撃、「真珠湾攻撃」から80年の月日が流れました。アメリカ海軍の戦死者2,334名、民間人死者68名。日本海軍の戦死者64名。まずは、哀悼の意を表します。この奇襲攻撃により、戦争には消極的だったアメリカは、「リメンバーミー パールハーバー」という思念の元、新型戦闘機、新型爆弾など兵器増強、兵士増員を実行しました。この攻撃の後、日本は1942年6月5日から7日に掛けての、「ミッドウェー海戦」により、空母4隻・艦載機約290機の全てを喪失し、日本が敗北への道をたどる海戦となりました。この海戦により、日本海軍の戦死者3,057名、アメリカ海軍の戦死者307名という、尊い生命が奪われました。現在、日本においては徴兵制度もなく、自衛隊に入隊しない限り、兵器に触れることがないので、私自身も80年前の戦争も歴史の一幕と思っています。私の祖父は、1944年11月に自宅で病死しました。恐らく推察ですが、祖父は、もう日本に戻れないないだろうと死を覚悟し、サイパン島に向かいました。1944年6月15日から7月9日の「サイパンの戦い」の前に、現地で戦いの準備をしていましたが、6月15日からの激闘の前に、病気を患ってしまい、涙ながらにやむなく日本に帰国したとのことです。このサイパンの戦いにおいて、アメリカ軍戦死者3,441名・戦傷者11,685名、日本軍戦死者約27,000名・民間人死者8,000名~10,000名という、尊き生命が奪われ、身体に傷も負いました。その後、各戦地で日本は敗退を続け、国内ではアメリカ軍による各主要都市への空襲、広島・長崎に原爆が投下され終戦となりました。私がこの時代に、生きていたらどうしていただろうとふと思うときがあります。全世界から、戦争がなくなりますよう切に願います。

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